
前回まではこちら
無事、ホテルに到着した私たちは部屋へ入った。
疲れ切ってはいたものの、「タイのクラブに行こう!」と深夜のバンコクの街へ出た。
タクシーに乗り込み、出発!
期待に胸を膨らませていた。
突如、タクシーが路肩で停車した次の瞬間、扉が開き警察っぽい服の人に路上へ放り投げられ、やたらと身体チェックされた。
隣を見ると友人も拘束され叫んでいる。
解放され、タクシーで友人に聞いて分かったのは、麻薬所持犯がいると通報があり容疑者だと思われたそうだ。
日本であれば確実に訴訟されている警察の対応ではあったが、無事クラブについた。

このクラブである。
アジア人はタイ人以外おらず、ほとんどが欧米やヨーロッパ系の外国人で溢れていた。
酒を飲んでいると次々に娼婦が声をかけてくる。
腕に絡みつき「5000バーツ(当時約15000円)」と上目遣いで言ってくる。
私は、金もなければ病気も怖い。都度適当にあしらっていた。
友人はというと、「あの子可愛いけど、英語も話せないお前を置いていけない」と言い出していた。
友人と私の部屋は同室だったので、「2時間くらいで戻るからあの子とホテル帰れ!」と背中を押し友人を見送った。
5分ほど経ち、深く後悔していた。異国の地で真夜中に私一人でクラブにいる。
時間は夜中3時を回っていた。
到着したときに比べ娼婦も5人くらいに減っており、顔も覚えてきた。
その時間になっても売れていない理由は万国共通である。
10分おきくらいにさっき声かけてきた娼婦がまた声をかけてきて徐々に値段も安くなってることにも気づいていた。
4時になり娼婦軍はついに解散した。
「ブサイクな娼婦」いたなあと思いながら帰るか悩んでいると、まさにその娼婦がまた声をかけてきた。

何か言っている。スマホで翻訳すると「いくらなら買ってくれるのか?」と聞かれたのである。
私はしつけえなと思い「100バーツ(当時300円)」と答えたら、「NO!1500バーツ(当時4500円)」と返答があった。
その時、無性に悲しくなった記憶が鮮明にある。
4500円で体を売ろうとしていることもそうだが、彼女は10回以上断られてる私にまだ真剣に声をかけ、外国人の心無い私は見た目のみで彼女をおちょくっている。
私は「こいつを買う男はいない」と確信した。
私は彼女にこう伝えた。
「NO S〇X!PLEASE GUIDE!」
この発言が意外な出会いへと繋がる。

私は翻訳して彼女に条件を提示した。
今から日本に帰るまで観光ガイドしてくれたら1日につき1500バーツ(当時4500円)払う。
彼女は即答で快諾した。
その後も翻訳機能でお互いのことを話した。
次回へ続く・・・【旅行】微笑みの国 inタイ part3 旅の道具編
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